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ガラクタ通信 その12
 SCRAPS (未分類)

2017-10-03 20:57:07
26743

本文

まずはいつもの枕詞から。
大変ご無沙汰しておりますm(_ _)m

さて、唐突ですが職業作詞家は、あるキャラクターを設定してその人物の視点から表現するものなのでしょうけども、趣味でやってるアマチュアのソングライターの場合はどうなんでしょうかね。
皆さんの場合はどうですか?

詞の内容なんて解説するものじゃないと個人的には考えているのですが、最近、自分の詞に関して発見があったので、ちょっと書いてみようかなと思い立ちました。
あ、最近曲作りできてないので過去曲の宣伝も兼ねて(笑)

ちなみにわたしは、何か退っ引きならぬ伝えたいメッセージがあって音楽を作るタイプじゃありません。
ただ音楽好きで、わーあんなの自分もやってみたいという極めて稚拙な動機で音楽を作っている、おおよそアーティストというタイプからは程遠い、というか対極にあるようなおじさんです。

伝えたいメッセージがあって音楽を作ってるわけじゃないので、歌詞作りという作業にはいつもいつも産みの苦しみを伴います。難産もいいところ。
しかもメッセージがないからといって言葉はどうでもいいかというと、そうではないところがこれまた面倒なところでして……。

GBUCに上げている過去音源の中で、自分で作詞している曲も何曲があるのですが、いずれもメッセージ性は皆無。だけどいずれも楽しい曲作りとは正反対に苦労して作詞した覚えがあります。
今回遡って過去曲の歌詞を確認してみたら、それはもう苦労の跡が随所に滲んでいました。

きっかけとなったのは、最近、古い友人から拙曲を聞かせてほしいと言われ、GBUCにアーカイブされている曲を何曲か紹介したのですが、その友人から「街の向こう」っていう言葉が好きねとの指摘を受けたことです(笑)。
いやいや、別に好きというわけじゃないですが、2曲ほどでその言葉を使用したのも確か。

件の曲はいずれもかなり古い曲で、「サヨナラ、ボクのFresca」という曲と、「Après la pluie」という曲でした。

その曲中にいずれも「街の向こう」という言葉が使用されています。
だから友人は、私がその言葉を気に入って使っているのかと思ったようです。

この2曲は私が作詞作曲しているだけあって、ほぼ内容のない歌詞なのですが、今振り返ってみると無意識にその時の精神状態が映り込んでいたのだと、友人の指摘を受けて今更気づきました。
ちなみに該当部分の歌詞は以下のようになっています。

「サヨナラ、ボクのFresca」より該当箇所抜粋
あの街の向こう 届かない明日へ 小石投げ口笛

「Après la pluie」より該当箇所抜粋
ゆっくり通り過ぎた雨が 昨日を洗い去って行って
虹をかけた 街の向こう

「サヨナラ、ボクのFresca」の方が先にできた曲なのですが、この曲を作った当時っていうのは精神的にかなり辛い時期でした。
辛いできごとをもう何年も引き摺っていて、そこからなかなか抜け出せないでいる状態が続いており、この歌詞や曲自体にも何か鬱積したものがにじみ出ているように感じられます。
該当部分の歌詞にはなんともやり場のない気持ちや閉塞感のようなものが出ている気がします。
遠い風景。将来の展望など考えるゆとりもない感じ。どうしようもない無力感。
そんな感じが出てしまっていますね。
第三者が聴いてもそんな感じは受けないかもしれませんが、改めて自分で聴いてみると当時の気持ちが蘇って、やはりなんとも言えない気分になります。

一方の「Après la pluie」は、「サヨナラ〜」より後に作った曲なのですが、心象風景が随分変わったんだなという印象を受けます。
曲調ももちろんそうなのですが、届かないと歌っていた明日がここではすでに過ぎ去った昨日となっています。しかもそこに描かれているのは虹がかかっている少し希望を感じさせるような情景。

作った当初、明確に意図していたわけではないのですが、こうして改めて並べて比較してみると、無意識的にとは言え、「サヨナラ〜」の歌詞を引用して今ではこんなに変わったよと言っていたのですね。
歌詞の中で並べられている言葉は、いずれもあまり意味を感じないような言葉ばかりなのですが、やはり自分の中から出てきた言葉なので、そこに自分が表現されているのだなと改めて感じさせられました。作っている時には自分を表現してやろうなんて微塵も思っていなかったのに。

この発見がきっかけで、改めて歌詞について振り返ってみようと思い立ったわけです。

拙曲に「記憶」という曲がありますが、これの歌詞は完全に悪ふざけ。
わたしは個人的にボサノバが大好きなのですが、この曲は趣味全開。割と本気で作ったボサノバです。
そういえば上述の2曲もボッサ風味の曲でしたが、どちらかというとフレンチポップの意識で作ってます。でもこの曲に関しては自分の中ではガチでやったボッサという認識。
ところがサウンド面でガチなだけに歌詞までガチでやるのには抵抗を感じてしまったのが天の邪鬼と言われるわたしの悪いところ。
一見歌詞は随分と思わせぶりで、知らずに聴けば過去の恋愛についてでも歌っているのかと勘違いしそうな言葉が並んでいますが、実は物忘れしちゃって思い出したいのに結局一日中思い出せなかったっていう歌。

こんな歌詞です。

忘れかけた 夏の記憶
縁をなぞるように
追いかけた 滲む光
煌めく午後 君はいない

触れることを 許されれば
今すぐにも 取り戻す
寄り添う陰は 頼りなさげ
辿る記憶 さまよう午後

過ぎ去った 時間(とき)の糸を
絡め取るように 
手繰り寄せ こぼれ落ちた
光の欠片 拾い集め

触れることを 許されれば
もう一度だけ 取り戻す
行き着く壁に 落ちた夕日
辿る記憶 さまよう夜

この歌詞では擬人化を試しています。
忘れちゃったけど思い出したい記憶のことを、「君」なんて言ってるものだから何とも意味ありげな雰囲気だけど、実はあまり深い意味のない歌詞です。

1番と2番は午後なのですが、4番の歌詞では結局夕日が落ちちゃってます。
それでも記憶を辿ってさまよったまま夜になってしまいました。
何という記憶の悪さ。
でも言いたかったのはそれだけ。物忘れの酷さを嘆いているだけの歌詞です。
大変なことを大変そうにではなく、悲しいことを悲しい雰囲気ではなく、くだらないことを立派そうに。そんな風に描けたらいいなという思いがいつも根底にある自分らしい歌詞だなと思います。
ストレートに表現するよりも屈折した表現を好むところがひねくれ者の本懐なのですね(笑)。

もう一曲日常ものを。
「雨と木曜日」という曲です。

東京のゲリラ豪雨は有名です。
当時わたしは都心部に住んでいたのですが、割と自転車が移動手段として手軽でよく使っていました。でもそうすると時々見舞われるゲリラ豪雨が天敵だったのですね。
いきなり雨に降られると、家に帰って寝ていたいと思ってしまうダメ人間にとっては、もうホントに勘弁してくれという感じでした。
曲の発表時、何で木曜日なんですかという質問が出ましたが、深い意味はありません。
週の半ばの木曜日って何となく一般的に怠いんじゃないかなと思って、その残念感をより表現するために木曜日としただけなのです。

お察しの通り、この曲でもしょうもないことを歌っているのですが、表現方法としては真面目にトライしている痕跡が見られます。
とりあえず歌詞はこんなのです。

霞むビルの向こう 近づく雨の匂い
行き交う人の波 雑踏の沈黙
ボクはキミを探してる

かざした手のひら 指先すり抜けた  
大きな雨粒に 痛みと重力感じ
ボクは少し躊躇(まよ)ってる

雨の木曜日は 少し苦手なんだ
部屋に戻ってベッドで 丸くなっていたい
なんて思ったりしている

雨宿りしなくちゃ おろしたての靴なのに
行き交う人の波 ボクは慌て走り出す
キミがもう待っているかな

この歌詞の工夫点のひとつは映像の動きです。
ビルの向こう側の雨雲から自分の周囲で行き交う人たちへとカメラのカットが移り、かざした自分の手の指の間から落ちてくる雨へ、という具合に映像が遠くからだんだん自分へと移って行くようなカット割りです。
こうして視線を動かすことで、聞き手が頭の中に映像を浮かべやすくなればいいなと思ってやってみたのだと思いますが、効果があったかどうかは自分では分からないので自己満足ですけど。

この歌の中では視覚以外にも、五感(実際には五感から味覚を取り除いた四感ですが)に訴えて少しでも臨場感を表現できないか色々と試みた痕跡が見られます。
最初の映像のすぐあと、雨の匂いという嗅覚に言及しています。
そして雑踏の沈黙の部分は聴覚。本当は雑踏なので賑やかしいはずですが、音声だけをミュートして映像が流れているような効果を狙ったと思われますが、心象風景としても成立させるためにこんな表現になってます。
そのあと落ちてきた雨粒に痛みと重力を感じたという描写で触覚に訴えています。
この痛みと重力は心の重さでもあるのですが、一石二鳥ですね。

最後は足元の靴から行き交う人々、そして走り去る主人公というカット割りで段々遠ざかって行くような演出になっています。
でも見返してみたら一人称視点で書いてるので、実際のカメラ映像だと遠ざかっていってないことに今気付いてしまいましたがw

大して意味などない場面だからこそ真面目に表現を頑張ってしまった自分らしさがここでもすごく出てしまってますね。
結局、あー、雨だりぃ〜って、言ってることはそれだけなんですから(笑)
しかし表現って難しいものですね。
ない知恵を絞ってなんとかひねり出そうという苦労がこうしてみるとよく分かります。

皆さんは作詞ってどうされてますか? スイスイ出てきますか?
表現なんて人それぞれなので、そんなに苦労したりせず書いちゃうよって人もいらっしゃるでしょうね。
でもわたしはそれなりに苦労してるんですよね。
しかしなんだかんだ言ったって、結局は自分というものが出てきてしまうものなのだなと、今回考察して見てよくわかりました。

コメント(4件)

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Re[2]: ガラクタ通信 その12

 SCRAPS - 2017/10/09 20:50

ziziさん、ご無沙汰してますm(_ _)m
さて、改めまして。

歌詞は本当に苦労しますよね。
勢いで書いたので、うまく伝わるかどうかと不安でしたが、伝わったようで嬉しいです。

それらしくするために結構あれこれと頭をひねって絞り出しているんですよ(笑)。

それで、わたしの苦肉の策が少しでも創作の参考になるというのでしたら、私も書いた甲斐があったというものです。
擬人化は結構使えますよ。
例えば鉛筆の気持ちになれば、身を削り、心を削り、伝えるよ。なんてすぐにそれっぽいことが出てきますよね。

ziziさんは言葉が浮かんだ時に書き留めておかれるのですね。
私の場合は、大抵作曲中に音の持つ情景のようなものが浮かんでいることが多いので、そのイメージに近い言葉を無理やり引っ張ってくる感じですかね。
だから私の場合も曲先ですが、詞ができてから言葉のイメージに引っ張られてアレンジに影響が出る場合もあります。

「雨と木曜日」のケースでは最初から雨の近づいてくるような情景が頭の中にあったので、最初からそういうサウンドになってますね。
途中で雨に降られちゃって参ったな、というちょっとした瞬間なのですが、それをあの手この手で引っ張りに引っ張った結果があれですね(笑)。

あと、作詞には完全にサウンドで言葉を選ぶと言う手法もありますよね。
例えばロングトーンでは母音が「い」で終わるような単語をチョイスした方がサウンド的に良いとか色々あるのですが、いずれそういうことも意識した作詞ができるようになりたいなと思ったりしています。

それと、言葉の持っているイントネーションとメロディとの間に余りに隔たりがあって違和感を感じさせるようだとまずいとか、そういう面もありますね。
童謡や唱歌なんかはそういうところをよく考えられていて、メロディが言葉のイントネーションに沿った形になっていて美しく言葉が響くようになってたりします。

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Re: ガラクタ通信 その12

 zizi - 2017/10/07 17:24

おお、お久しぶりのガラ通ですね。ちょっとストレス溜まってきましたでしょうか、ともあれ目にする事が出来て嬉しく思います。

今回は歌詞ですね〜、私もいつも苦しんでいる部分です。メロディーの部分よりも遥かに長い時間がかかってます。本当は自分の感性にマッチした作詞する方いらっしゃったら丸投げしたいくらいです。

いや、しかしサスガ天邪鬼な...いやこだわりを持ったSCRAPSさん、今回初めて聴かせて頂いた曲もありましたが(すみません)、いや〜お洒落ですね〜!物議を醸してる(と大袈裟に言ってみる)「雨と木曜日」エンディングも私はこれで効果的で良いように思います。

で、今回は曲の方はさておき歌詞ですね、これがまた凄く参考になります。「記憶」における擬人化、ムッチャ勉強になりました、というか早速パク...いや、手法を参考にさせて頂いて試行して見ようかと目論んでおります。これ誰もが「過去の恋愛」についての内容だと認識するであろうかと思いますが、自分の場合うこういう機微から遠ざかって長いので男女の心情を表現する事は不可能な気がしますが、なるほど擬人化すれば良いのかと気づかせて頂きました(笑)
また、「雨と木曜日」における映像の動き及び四感を意識した手法も私には思いも付かなかった方法です。「雨だりぃ」をここまで詩的な表現が出来るなんて凄い事ですよ...


自分の場合はと振り返って見ると、ちょこっと思いついたフレーズをテキストに書き付けておいて、少しづつ少しづつ書き加えて書き溜めて行って...って感じで、一度にスラスラ最後まで書けた事は一度も無いですね。たま〜に偶然ダブルミーニングっぽい単語になると一人でニヤニヤしています(笑)

私の場合は「こういう曲が創りたい」というのが先にあって、100%曲先で私の場合もSCRAPSさん同様メッセージ性は特にありません。ただ方向性をなんとなく決めてから創りはじめる事が多いでしょうか、これでも若くて独身の頃は恋愛模様的な歌詞を書いた事もありますが、ちょっと思い出しただけで出てくるセンテンスが「何度も受話器に手を伸ばした」とか「今のこの時が他の何よりも大事」等々今思い出しても完全なる黒歴史です(爆)

で、結婚してしばらく趣味全般から遠ざかった時期を経て子供が出来しばらくしてDTMで音楽再開した時は人並みに「若い世代への応援歌っぽいもの」とか「広い意味での絆的な...」とかそんな感じの作風になりましたでしょうか。あと水眠以降は頭の中にあるざっくりした物語から導き出したりする事が多くなってきましたかね。

あと、今思いついた事を蛇足的に書きますと、作詞って何というか、言って見れば作曲よりも自由度が高いというか、創作者の感性が発現しやすいような気がしますね。なのでSCRAPSさん自分というものが出やすいのかも知れませんね。私が20代でオリジナル曲創り始めた頃一度だけライブで演奏したバンドがあって、後輩女性ヴォーカリスト(そういえば矢野顕子とか戸川純ファンだった)に歌詞書ける人が居て、自分のメロに歌詞つけてもらったのですが、これがもう私には全く思いも付かないような歌詞で。はァ〜このありきたりのどこにでもあるような私のメロディーにこんなぶっ飛んだ歌詞が書けるもんだと感心した記憶が蘇りました(笑)

ともあれ興味深い考察で非常に勉強になりました〜!

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Re[2]: kimuxmさんへ ガラクタ通信 その12

 SCRAPS - 2017/10/07 07:35

Kimuxさん、すごいお久しぶりです(^◇^;)

歌詞は本当に苦労しますね〜。
ロックやポップスの世界では定型句と化しているような言い回しもありますから、同じ言葉の連呼も手法としていいんじゃないですかね。
むしろもう様式美にしてしまえば(笑)

曲を褒めていただいてどうもありがとうございます。
実を言いますと、かくいうわたし自身も、音楽を聴いていてもほぼ歌詞って入ってこないことがほとんどなんですよね(^◇^;)
だから気にしないでください。わたしの曲に関しては大丈夫です。

そうそう、ボーカルはあれですよ(笑)。
さすがですね。

ところでKimuxさんは電気工作すごいですね。
わたしはそっちはさっぱりなので羨望の眼差しで見ております。
なかなかコメントをつけられなくてすみません。
今度改めて時間を作りますので!

コメントどうもありがとうございましたm(_ _)m

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Re: ガラクタ通信 その12

 kimux - 2017/10/06 00:19

うわっ、ガラ通の最新号が出てる!!!すごいお久しぶりです (^^

そうそう、私も何か主張したい歌詞があって曲を作るわけではなくて。
それでも歌詞を書かねばカッコがつかない場合、産みの苦しみです。
特に3番までの展開を考えないといけないと思うと逃げ出したくなります。
ということで、最近は同じ言葉を連呼したりしているわけですが (^^;

それはともかく、SCRAPS さんの曲の数々、あらためて聴くといいですなぁ〜。
ただ、これは申し訳ないのですが、サウンドの方に気を取られて、
歌詞(の意味)はあんまり追ってなかったりして (^^;
それで気づいたんですが女性ボーカルは実はアレなんじゃないですか?